2005年12月31日

理想主義と実利主義との摩擦は

ジャーナリズム経営の立場にある人々の性格の中に在るばかりでなく、経営の実利性そのものに影響しているところが、歴史の単純でない面白さであろうと思う。ジャーナリズムのこの機微と読者の声、要求との関係の中にこそ案外にジャーナリズムの大動脈が通っているのではあるまいか。
 ジャーナリズムは夥だしい功罪ともども読者を捕えてゆくのではあるが、そのためには読者の人間的社会的意欲の動向を敏活にとらえ反映して展開させなければジャーナリズムは実利上にも成立たない。ここに、現代ジャーナリズムに対する読者の声、要求の深い意義とその積極性への翹望があり、又、編輯部の文化人としての良心、良識を今日にあっても絶望せしめない或るものがあると信じられるのである。
〔一九三七年十一月〕

人妻風俗
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2005年12月29日

理想家ルースは

左翼のリーダアになったかもしれずY・M・C・Aのとび切り忠実な書記にでもなりかねないが、一面の極めてつよい実利性のために、現実においてルースは卑俗な一般的見解の水準での成功に屈伏し、金をつくり、遂に現代アメリカの支配階級の連中とは「君、僕、我々」で話す仲となった。もはや往年の貧しい牧師の息子にとって権力者たちは「彼等」ではなくなった。そしてルースはイェール大学の最も富裕な最も業々しくて反動的な「髑髏と骨」団の団員になった。
 かくて、ルースが最初出発した、「正直な報道」の与え手としてのジャーナリストの立場は非常に危険なものになって来たとマクドナルドは見ているのである。
 私は、日本のジャーナリズムにそれぞれ今日の立役者として今日活躍している何人かの人々の性格、人間的動きの中に、ルースについてマクドナルドが観察している点が尠からず看取されるところに深い感興をもった。菊池寛氏をはじめ手近に想い起される日本ジャーナリズムのドミナント・フィギュアを心に浮べて、ルースの持つような性格分裂、ジャーナリストとしての危険に多少ともさらされていない何人を挙げることが出来るだろう。
 特に日本は若く而も早老な社会機構によって、ジャーナリズム内の理想主義と実利主義との紛糾は、呼吸荒い時代に揉まれて様々な内容がその日暮しに陥り達見を失う危険をもっていないとは云えない。
 先頃、二晩つづいて東京に提灯行列のあった一夜、現代日本の最も名望ある雑誌の或る会合が催された。その社としては懐古的な意味をもった催しであったが、主幹に当る人はそのテーブル・スピーチで今日社が何十人かの人々を養って行くことが出来るのも偏(ひとえ)に前任者某氏の功績である云々と述べた。今日に当って某誌が日本の文化を擁護しなければならぬ義務の増大していることを感じる言葉は聞かれなかった。だがその某氏は、現代ジャーナリズムが或る方面から極度に批判性を抹殺されていることに対しては、ジャーナリズム本来の性質に立って全く正当な不承服を感じているのが事実なのである。
新潟風俗
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2005年12月28日

微妙な人間的交錯

 今日の雑誌ジャーナリズムは、大ざっぱにだけ眺めわたすと満目悉く所謂(いわゆる)事変ものの氾濫である。すべての雑誌の表紙は刺戟的なグラビア版で赤や黒のフラッシュのついた文字で彩られているようなのであるけれども、そうかといって単純にキングと文芸春秋とは全く等しい傾向をもって、戦時特輯をしているかと云えば、そうでないことは自明である。
 ここに極めて複雑である今日の雑誌ジャーナリズムの感覚とひいてはジャーナリストそのものが現代に処する文化的相貌の複雑さが反映していると思う。日本の文化、民衆の道は難航である。それがそっくりジャーナリズムに現れている。
 明治の初頭、ジャーナリストたらんとした人々、或はジャーナリズムに関係しようとした人々は、当時の日本文化の進歩に対して国際的な又進歩的な信念をもっている人々であった。社会事情がそのような自信を可能にした。
 この社会の木鐸(ぼくたく)をもって任じた雑誌ジャーナリズムは、先ず経営の方面から近代資本の力に支配されはじめ、当時から見れば二代目或は三代目の今日のジャーナリズムは、更に歴史の推進によって、資本の力と、その力を強め守ろうとする二重の力に少からず左右されなければならない事情のもとに置かれている。
 この間或る雑誌を見ていたらD・マクドナルドが、現代アメリカの最大なジャーナリストの一人であるヘンリー・ロビンソン・ルースの事業と性格、社会的行動の分析をしていた。
 周知のとおり通俗ニュース雑誌、『ライフ』『タイム』『フォーチューン』『アーキテクチュラル・フォラム』等の諸週刊雑誌のほかラジオ・ニュースの放送などで、今日三千万人のアメリカ人にタイム社の影響を与えている男である。
 去年の彼の収入は百二十万ドル程あったそうだ。このルースというアメリカ・ジャーナリズムの大立者がマクドナルドの観察にしたがうと、単純な、だが全く対立矛盾した二つの分裂した性格をもっている。
 一面情熱的な理想家、人類改善の使命の自覚者である彼が他の一方では極めて実務家で、理想の懐疑者、「原論」の嫌悪者、実利主義者である。
すすきの風俗
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2005年12月26日

桐の青葉が葉うらをかえしてそよぐ

快活な六月の日本晴の空は頭上にあって、小さな良人の髪の毛たばをしっかりと二つの指の間にもって物干しの上にいるひろ子の躯を、太陽の暑さと逆流する感覚が走った。まるむきにされている乙女のひきつったような黒い大きい二つの目は、その感覚のなかで次第に遠く遠くと去りゆくのであった。

名古屋風俗
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2005年12月25日

ひろ子は、

渋いきしむような涙が胸のなかをおちる心持で、猶もじっとその絵を眺めた。この絵の中でも乙女はやっぱり昔どおり嬌態をつくることを知らず自分の肉体が自分をうごかしている力をも自覚していない。そのままにいつとは知らず若い彼女が踏み出した人生の道とはちがった流れのなかに漂いはじめている。勉の真面目さや人生への熱意が、妻であった乙女にとっては、反動のようにこういうところにひきつけられて行くような作用としか働かなかったのであろうか。ひろ子の心には、この人生に選択する力をもたない乙女への憐憫とともに、今日の乙女のこのありようが勉の辛苦にみちた生涯の残した誤りの一つだとは決して云えないと、高く叫ぶ声がある。乙女が或る時期つくした善意のためにも、切ない心持であった。そして、また重吉や自分や友子や、そういうみんなの、今日を生きようとしているひたむきな心のためにも。
 ひろ子は、たえがたく胸にみちて来るこの感想をもって、その人によりそう思いで、物干しへ出て、何とはなしそこに乾されている毛布の面を撫でた。永い寒気の間幾冬もつづけて重吉の体をまもって来た毛布は、晴天の下で快く熱をふくみ、薄茶色にふくらんでいる。
 ひろ子の指先がふとその面で一本の髪の毛にふれた。心づいて見れば、そこにも、ここにも。重吉の髪の毛が、苅りくちもくっきりと三四寸のながさで、いくつもの夜の間に柔かい毛布の毛なみに絡みはこばれて、ひろ子のところへ来ている。あの重吉の髪の毛と思えば、その一本一本がすてかねて、ひろ子は何だかそぐわないような、内心に熱火したようなもつれた心持ちで、その一つ一つをひろいあつめて行った。ひろ子の左手の拇指とひとさし指との間にはすぐに小さい短い男の髪たばがあつめられた。だが、考えてみれば、妻である女が、良人の体として現実にこの手でふれられるものと云えば、たったこの偶然によってはこばれて来ているおち髪だけだという事実、これは何と妙なことだろう。何と奇妙な人間の生活にあるらしくもないことだろう。
京都風俗
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2005年12月24日

その年の六月は雨がすくなくて

梅雨に入ってからも晴れた日がつづいた。ひろ子は、不如意な家持ちの暮しぶりは同じことながら今はそこへ腰をすえた気分で、二階の手すりに近く深々と桐の青葉のひろがる濃さや、見下す隣家の竹垣のわきで紫陽花(あじさい)が青貝のような花片を燦めかせはじめたのを、眺めた。
 その日も朝から晴れわたって、真夏そっくり雲のかげ一つない青空からかんかんと照りつけている午後、重吉のところから嵩(かさ)ばったハトロン紙の小包がとどいた。ひろ子は、それと一緒に投げこまれた詩の薄い同人雑誌もかかえこんで物干しへ出た。小包は冬の間つかわれていた毛布であった。二本の竹竿にかけわたして、それを溢れる日光と大気の中にさらしてから、カンバス椅子を簾のかげにひっぱって行って、ひろ子はそこで雑誌をあけた。特別のこともなく頁を繰っていたが、なかほどのところで彼女の眼は一枚のカットに吸いよせられ、それと同時に暗い、はげしい色が顔をつつんだ。カットの裸体の女の像は、特徴のある弓形の眉も大きい眼も黒子があってすこし尖ったような上唇の表情も、まがうところのない乙女であった。粗い墨の線で、まるはだかの瘠せてとがった乙女の両方の肩つきが描かれている。何とそれは見まがうことの出来ないあの乙女の肩だろう。乙女ははだかで、真正面むいて、骨ばった片膝を立てて坐り、両腕はそのままだらりと垂れ、二つの眉をつり上げて、今にも唇をなめたいところをやっとこらえていると云いたげな表情である。このような乙女を描いているのは、乙女の良人であった勉が生きていた頃から、知人ではあったがその芸術上の態度では決して一致していなかった画家、むしろそのデカダンスを勉は軽蔑していた、その画家である。頽(くず)れた荒い線で、ここに一人の瘠せて小さいまるむき女性が乱暴に描かれて居り、二つの眼のこりかたまった大さと、腕のつけねや腹の下のくまがそれぞれ体に不似合な猛然さで誇張されている、それがほかならぬ乙女であるというのは何たることだろう。はだかの妻を描いた勉の絵というのをひろ子は一枚も見たことがなかった。乙女はやとわれて着物をぬぐ稼業ではなかった。この素描は、乙女とその画家との最もあらわな絵なのであった。いつかの乙女の態度も思い合わされる。
渋谷風俗
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2005年12月23日

と悲しげに云った。

「でも一緒に住むとか住まないとかは別として、今あなたの云ったことね、普通の女だとかそうでないとかいうこと、ああいう云いかたは、変だと思う。じゃあ普通の女ってどういうのさ。御亭主にやしなって貰って、御亭主立身させて、金ためたいと思っている、そういうのが普通の女と云えば、自分でたべて行かなけりゃならない乙女さんの立場だって、決して普通の女じゃないわけだもの。そうでしょう?」
 乙女はこっくりした。そして、黙って当惑げに唇をなめた。その様子には、そう云ってことわっておいでよ、とだけ云われて出て来た乙女の、この場になっての云いがたい当惑と不安とが語られているのであった。
 ややあって、ひろ子は、
「もういい、いい」
と苦しさも思いすてようという風に云って、時計を見上げた。
「時間いいかしら。わざわざ呼び立てたようになって御免なさいね」
 そして、乙女が派手ではあるが乾いた花のように少し埃をかぶった姿をかがめて、
「じゃ、御免なさい」
と格子に手をかけそれをしめて一二歩あるき出したとき、それまではついむっつりと黙って立っていたひろ子が急に乙女のかげの細さにうたれたような声で、うしろから、
「何か用があったらいつでも来なさいね」
とよびかけた。
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2005年12月22日

「もし一緒に住めないようなことになったとき」

そういう心配は、ひろ子にもすぐうなずけた。これまでの生活のなかでは幾度か、他動的にひろ子の家庭はこわれた。
「またあたい一人になって、こまっちゃわないだろか」
「あの時分とは全体がまるでちがって来ているもの」
「でも……ひろ子さんは、そういうときでもちゃんと成長して行けるけれど、あたいはやっぱり普通の女で、そうやっていたっていつまでたっても普通の女としてのこるばっかしだから……」
 乙女は、唇をなめなめ云うのであったが、きいていて、ひろ子は自分の顔つきがぼんやりとしたおどろきから、次第につよい疑問へとかわって行くのを感じた。
 眼を見開いたままのような表情で乙女が云い終ると、ひろ子は上気しているその乙女の顔から思わず視線をそらして低く、
「普通の女って……なんだろう……」
 苦しげに呟いた。乙女の云ったことみんなの、はじめの方は、これまで知っている乙女の心から云えることであった。だが、あたいはやっぱり普通の女で、という、そういう云いまわしや自分の身を友達たちの生きている生活の波から区別してのもののみかたは、勉のものではもとよりなかったし、乙女が良人をなくしてから今日までの二年の間に、自分の生きて来た道から見出して来たものとも思われなかった。これは、乙女らしくない云いかたである。お前は、或は君は、普通の女なんだから云々と乙女に向って説得的に云っている男の声のなごりを、ひろ子は、まざまざとそこに感じた。
 しかし、乙女は正直ものの頑固さであくまで自分に作用している男の考えのあることはうしろにおいて、自分一個として強いても胸を立ててひろ子に対し、ものをも云う態度になっている。乙女ひとりの芸ではない計画されたものがそこにもある。
 一生懸命な乙女の小さい顔、人中(じんちゅう)のところに一つ黒子(ほくろ)のある上唇が生毛を微(かすか)に汗ばませてふるえているのを見ると、ひろ子は乙女が可哀想になった。これまでのよしみでひろ子たちへ深く結ばれている心持、けれども一方では男の言葉にひかれずにいられない女の心のありようが、ひろ子にみえないと思うのだろうか、分っていても、分らないことにして押しとおさなければならないようなものがあるというのだろうか。そういう影響のしかたが、何か男の側のまともでなさと感じられてひろ子は、暗い気がした。やがてひろ子はそのことには触れず、
「じゃあね。野兎さん、この話はおやめにしましょうね」
池袋風俗
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2005年12月21日

「もう一月ばっかしになるかしら。

あっちへかえってもばっちゃんがうるさくて」
 乙女はそう云うと、相変らず細くて長い両方の眉毛をつり上げるような表情をして、鼻に可愛い縦皺をよせながら笑った。それはどこか野兎に似た顔つきで、彼女の言葉にのこっている田舎の訛りとともに、乙女を描くなら蕪(かぶ)でも添えて描きたい感興をおこさせる人柄なのであった。
 けれども、落付いてみるときょうの乙女は何となしいつもとちがうよそゆきの座りかた喋りかたで、時々柱時計の方を見上げては、下唇をなめている。昔この唇は荒れていて白かった。今は紅がぬられている。そういうちがいこそあっても、乙女が我知らず唇をなめるときには、きっと何か気がかりなことがその小さい薄い胸にかくされている、その癖にちがいはないのである。ひろ子は、それに気付くと半分ふざける親しさで、
「何思案をしているの」
と笑った。
「時間が心配? それなら用事かたづけてしまおう、ね」
 乙女が勤めを大切に思うことを、ひろ子は寧ろ好感でうけた。
「友子さんのハガキのことね、どう思う?」
 乙女は一層はげしく上唇、下唇となめたが、大きい二重瞼の二つの眼をひろ子の顔の上へ据えるようにして、
「そりゃ、一緒に暮して行ければあたいもいいと思う」
 棒をのんだような緊張で一気に答えた。
「けんどね」
「うん」
 下唇を、猶一度ゆっくりとなめて、乙女はその先を云い出した。
岡山風俗
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2005年12月18日

とたずねて来たとき、

ひろ子は、用向きよりもその人のなつかしさ、その人と経て来た生活のなつかしさに亢奮をかくせなかった。重吉や生きていた乙女の良人が一緒の活動をしていた頃、二十歳をこしたばかりであった乙女は生活のために場末のカフェーにつとめていて、若い堅気な夫婦がその決心をかためたとき、乙女はひろ子のところへ着物のことで相談に来た。自分で来たというよりも、良人の勉が来させたという方が当っている。夫婦としての生活の感情などについても、ごく清潔なたちの勉が、男に媚る仕方などというものをまるで知らない素朴な若い妻を、そういう職業につかせる決心をした、その気持が、乙女を自分のところへよこしたことから、切なくひろ子には諒解された。勉がなくなった後、友子の心持にもひろ子の心持にも、残った乙女の暮しぶりに向けられていたにちがいない勉の懸念が映っていて、乙女が麻雀クラブにつとめはじめた時、ひろ子はその店のところへそれとなく行って見たりしたこともあった。ひろ子は、
「よく来たこと。きょうは――おそでの日?」
と、小柄な体を派手なセルにつつんで、胸高く赤い帯をしめてそこに座った乙女を眺めた。
「いつ旭川からかえったの?」
千葉風俗
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